カスタムといえば・・・
カスタムバイクブーム。
三京ブームってありましたね。
バブルはじけたころでした。
三京ブームってのは、第三京浜の保土ヶ谷に土曜の夜に集まるのね。
改造したニンジャや刀、ジスペケ1100とかで、第三京浜で安くなったハイオクを燃やしてた人たちがいて。
で、カスタムしたバイクを保土ヶ谷に止めて見せびらかして。
目ぼしいバイク囲んで、缶コーヒー片手に語っちゃったりするんですよ。
ZやCBがもてはやされてね。
本気で最高速って言うとZZ-Rとかかね。
ブラックバードはチョイ後か。
このブーム。
たぶん、車検のたびにマフラー交換しなくていいようになったからだと思う。
規制緩和ね。
あれは外圧による規制緩和で、アメリカがパーツを売るために捻じ込んだものに対応したんだったかな。
お上はね、弱い者の話は聞かないけど、強い者の話はすぐに聞くからね。
流用改造なんてのもこの頃の流行りだね。
下手なカスタムパーツより信頼性が高いとか、そんなこと雑誌は書き散らしてたけど。
CB-FにBIG-1の足回りとか、ZにXJRとか。
カタナに油冷エンジンとか、ニンジャにZX10エンジンとか。
RZも91〜92年くらいから初期型の人気が出始めました。
それまではジャンク扱いですよ。一ケタ万円で買えたのが、あれよあれよと値上がり。
RZのために後方排気がどれだけドナーとなって捨てられたか。
Z、CB、750SSとか500SS、70〜80年代のバイクがもてはやされました。
ZとかCBだって一時はゴミ扱いですよ。
CB-Fなんかも一ケタ万円のボロが出てました。
そういや、カタナは再販前は200マンとか値段付いてたねぇ。
1100とか、逆輸入しかなかったから。
で、カタナが再版され、1100も国内仕様が出て。
Zepも750から1100.
いつかは乗りたいと思っていたな。カタナは。
でも250とか400が出て、どうでもよくなっちゃったかも。
カスタムも三京仕様ってのがあった。
時代はめぐる…じゃないけど、セパハンからアップに変えて、オフ車譲りのハンドルブレース。そのうちオン用の短めのブレースも売られるようになったね。
んで、その前は埠頭で膝すったり、ダルミでコケて麓の病院運ばれたり。
いわゆる走り屋全盛で。
ショウマルのコーナーがことごとくレコード盤にされたのも走り屋ブームのせいでしょ。
荒川水門とかランド坂とか大黒とか、ツナギ着て集まってましたねぇ。
ランド坂なんか、あんなワンコーナーで大勢集まってなぁ。
80年代後半から90年代前半の走り屋って言うと・・・。
メットにシャアザクのツノとキツネのしっぽ。
ツナギの上には揃いのトレーナー。RTナンタラ オリジナルステッカー。
RTはレーシングチームの略ね。
「零振愚」「麗震愚」とか、ゾクの文化もなんとなく交じっていた。
バイクにゼッケン付けてね。
01がリーダーだったりエース格だったり。
ヒザスッてる写真撮って「RTホニャララ ゼロワン 折葉 葉可男」ってバリマシに投稿するのね。
二代目RTナンチャラ・・・みたいな、代がわりしてみたりね。
この辺もゾク文化なんだろうなぁ。
ローリング族、暴走族、あとはゼロヨンか。
あとはゼロヨンは集まっちゃ潰されして・・・青山ゼロヨン、埠頭も定番。
多摩だと府中の30メーター、南大沢もやってたね。私が知ってるのは南大沢くらい。
あんなところに、ウィリーバーつけたZZ-Rとか来てたのよ。
でも、ゼロヨンと言うとやはり四輪かなぁ。
R32 GT-R VS S30Z とか。
LでRBと戦う・・・的な。
バイクの話しに戻すとゼロヨンマンって人が居ました。
パドックO&Mの大下さん。
いまはアメリカにおられるとか。
RZ改でゼロヨン11秒台。
すごいですよねぇ。
ゼロヨンってほどじゃないけど、信号で競争すんのはバイク乗りの習性。
シグナルグランプリってやつですね。
ああ、よくやったな、昔は。
いまでも覚えているのはRZ50対決。
1HK VS 5R2
引かないよ。どっちも引かない。
17歳の頃だよ。
R20。谷保あたり。
そうそう、シグナルグランプリって言えばオフ車が結構強くって。
ギヤ比の関係だったりトルクだったり。
で、瞬発力って言う意味じゃ2ストの独壇場ですよ。
バランスのDT200。
ライムカラーのKDX。
はすぅら〜でびゅ〜・・・じゃなくてスズキのTS250ハスラー。
で、ホンダはCRM250。
このCRMなんですが、50/80と250がありましてね。
50や80はNチビと同じ系統のエンジンでした。
で、250はCRの公道版。
そのCRM250って言えば・・・・(長いので省略)
應盛 英盛 総盛 まさもり ひでもり ふさもり
大国魂神社-くらやみ祭り-祭り好きの隠れ家
三京ブームってありましたね。
バブルはじけたころでした。
三京ブームってのは、第三京浜の保土ヶ谷に土曜の夜に集まるのね。
改造したニンジャや刀、ジスペケ1100とかで、第三京浜で安くなったハイオクを燃やしてた人たちがいて。
で、カスタムしたバイクを保土ヶ谷に止めて見せびらかして。
目ぼしいバイク囲んで、缶コーヒー片手に語っちゃったりするんですよ。
ZやCBがもてはやされてね。
本気で最高速って言うとZZ-Rとかかね。
ブラックバードはチョイ後か。
このブーム。
たぶん、車検のたびにマフラー交換しなくていいようになったからだと思う。
規制緩和ね。
あれは外圧による規制緩和で、アメリカがパーツを売るために捻じ込んだものに対応したんだったかな。
お上はね、弱い者の話は聞かないけど、強い者の話はすぐに聞くからね。
流用改造なんてのもこの頃の流行りだね。
下手なカスタムパーツより信頼性が高いとか、そんなこと雑誌は書き散らしてたけど。
CB-FにBIG-1の足回りとか、ZにXJRとか。
カタナに油冷エンジンとか、ニンジャにZX10エンジンとか。
RZも91〜92年くらいから初期型の人気が出始めました。
それまではジャンク扱いですよ。一ケタ万円で買えたのが、あれよあれよと値上がり。
RZのために後方排気がどれだけドナーとなって捨てられたか。
Z、CB、750SSとか500SS、70〜80年代のバイクがもてはやされました。
ZとかCBだって一時はゴミ扱いですよ。
CB-Fなんかも一ケタ万円のボロが出てました。
そういや、カタナは再販前は200マンとか値段付いてたねぇ。
1100とか、逆輸入しかなかったから。
で、カタナが再版され、1100も国内仕様が出て。
Zepも750から1100.
いつかは乗りたいと思っていたな。カタナは。
でも250とか400が出て、どうでもよくなっちゃったかも。
カスタムも三京仕様ってのがあった。
時代はめぐる…じゃないけど、セパハンからアップに変えて、オフ車譲りのハンドルブレース。そのうちオン用の短めのブレースも売られるようになったね。
んで、その前は埠頭で膝すったり、ダルミでコケて麓の病院運ばれたり。
いわゆる走り屋全盛で。
ショウマルのコーナーがことごとくレコード盤にされたのも走り屋ブームのせいでしょ。
荒川水門とかランド坂とか大黒とか、ツナギ着て集まってましたねぇ。
ランド坂なんか、あんなワンコーナーで大勢集まってなぁ。
80年代後半から90年代前半の走り屋って言うと・・・。
メットにシャアザクのツノとキツネのしっぽ。
ツナギの上には揃いのトレーナー。RTナンタラ オリジナルステッカー。
RTはレーシングチームの略ね。
「零振愚」「麗震愚」とか、ゾクの文化もなんとなく交じっていた。
バイクにゼッケン付けてね。
01がリーダーだったりエース格だったり。
ヒザスッてる写真撮って「RTホニャララ ゼロワン 折葉 葉可男」ってバリマシに投稿するのね。
二代目RTナンチャラ・・・みたいな、代がわりしてみたりね。
この辺もゾク文化なんだろうなぁ。
ローリング族、暴走族、あとはゼロヨンか。
あとはゼロヨンは集まっちゃ潰されして・・・青山ゼロヨン、埠頭も定番。
多摩だと府中の30メーター、南大沢もやってたね。私が知ってるのは南大沢くらい。
あんなところに、ウィリーバーつけたZZ-Rとか来てたのよ。
でも、ゼロヨンと言うとやはり四輪かなぁ。
R32 GT-R VS S30Z とか。
LでRBと戦う・・・的な。
バイクの話しに戻すとゼロヨンマンって人が居ました。
パドックO&Mの大下さん。
いまはアメリカにおられるとか。
RZ改でゼロヨン11秒台。
すごいですよねぇ。
ゼロヨンってほどじゃないけど、信号で競争すんのはバイク乗りの習性。
シグナルグランプリってやつですね。
ああ、よくやったな、昔は。
いまでも覚えているのはRZ50対決。
1HK VS 5R2
引かないよ。どっちも引かない。
17歳の頃だよ。
R20。谷保あたり。
そうそう、シグナルグランプリって言えばオフ車が結構強くって。
ギヤ比の関係だったりトルクだったり。
で、瞬発力って言う意味じゃ2ストの独壇場ですよ。
バランスのDT200。
ライムカラーのKDX。
はすぅら〜でびゅ〜・・・じゃなくてスズキのTS250ハスラー。
で、ホンダはCRM250。
このCRMなんですが、50/80と250がありましてね。
50や80はNチビと同じ系統のエンジンでした。
で、250はCRの公道版。
そのCRM250って言えば・・・・(長いので省略)
應盛 英盛 総盛 まさもり ひでもり ふさもり
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- 2014.07.08 Tuesday
- バイク・車
- 19:46
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- by 村田屋
規制前の初期型はカラーリングは地味でしたが、名機でした。180センチのボクでも、足が届きませんでしたが、、、信号待ちがきつかった。